[大幅に加筆修正しました 09/01/06 AM 11:01]
感性の深い部分で異議が発せられる。「いやだな」と感じる。「おかしいぞ」と思う。それは一瞬の直感。なぜかを論理的に説明するのが追いつかないほどのすばやい反応。
はてなブックマークの新着エントリ(注目エントリ)の[男女]タグの記事一覧に並んだタイトルに、このような心の動きを感じた。
注目エントリーも日にちと共に流れてしまうだろうから気になったタイトルをいくつか挙げる。
付き合うためにセックスした女とセックスするために付き合った男
据え膳食べない理由
男の人といい友達でいたい女の子へのアドバイス
女はいつ体を許すべきか。
初対面で酒飲んでHスか。
結局女にとってセックスは手段に過ぎないのかな?
据え膳食う5つの条件
タイトルをざっと見て感じたことを文章にしたくなった。増田(はてな匿名ダイアリー)の記事は、タイトルと内容が一致してないことが多いので危険も伴うが瞬発力を文章に出したいと思った。
僕も含めて多くの人はセックスを「得て」いないのではと感じた
セックスには以下に挙げる2つの性質を備えている。だからこそ人はジレンマに陥る。
1)「セックス」が異性とより良い関係を築くための手段として(同時に既存の関係を破壊する理由として)、有効に機能する。
2)「セックス」それ自身が人を魅了する、人を溺れさせるだけの快楽を伴う行為である。
1)の要素がセックスにあるが故に人は最善手を求めてしまう。異性との関係、でき得れば発展させたい、親密なものにしたいと望むが故に、構えなくてもいい「関係」というものに意味を求めてしまう。
人間関係に悩む人もいれば、長けている(と実感している)人もいるだろう。そして確かに異性との人間関係においてセックスは重要な要素だ。
しかし決して関係には「絶対」はない。「こうしたらベターだ」という経験から窺われる、とても不確かな法則のようなものしかそこには存在せず、そしてそれはゲームですらない。(ゲームとして見立てるのが好きな人は多いけれど)
ゲームではない関係においてセックスは「出来事」だ。決して切り時を見定めるカードではない。出来事であるからにはそれ自身が持つ意味など特にはなく「中立」だ。意味を見つけたがるのは常に人。
それが中立であることを知り、セックスに従属することを逃れたとき、初めて人はセックスを「得る」んじゃないかな。
ただそれは2)の要素があるからとても難しい。ただ人は惑うけど段々と軌道は安定してくるものなんだ。そこにはセックスの経験回数だとか経験人数だとかは関係なくそのとき〃対峙する人に向き合う努力を怠らなければ自然とそうなってくるもの。
人との関係を恣意的にコントロールできる(段々上手くなる)っていうのは錯覚じゃないかな。最低限のルールを覚えてスムーズに人と向き合うことができるようになったと考えた方がいいよ。

よい
耳触りのよい言葉だけが心に響くのではないのと同じように
気持ちのよいセックスが何か人生に響くわけではない
と思う
セックス大好きだけど!w
俺もセックス大好きだよ!
セックスには本来罪はないのに、どのタイミングでするだとか、してあげたのにどーだとか濡れ衣を着せられてる感じがしたんだよね。
だから、意味を付与してんのはおめーらだよ。もっと素直に楽しめればいいのになあって感じて記事を書き始めたらこんな着地をしちゃったよ。