本当の大転換の時代に必要なのは、「今が大転換の時期だ!」と叫ぶアジテーターではなくて、「そんなの分かってるよ」と言って、黙々と自分のなすべきことに励む人だと思うので、「これ以上どうしようもない時代の"分かりきった転落"につき合ってもしょうがないな」と思う。その転落を止める悠長にしてただ一つの方法は、そこから距離を置いて、「その状況につきあってると、向こうの転落をひどくさせるだけだよ」という冷静な視線を送ることだけだろうと私は思っているので、「もういいか」と思う

橋本治 著『最後の「ああでもなくこうでもなく」―そして、時代は続いて行く』あとがきより

使命感なんて大げさなことではないのだけれど

僕が政治や社会情勢のことについてあまり語りたがらない理由にちかいことが、「広告批評」で連載されていた橋本治の時評をまとめた書籍のあとがきのなかにあった。"時代に必要なのは"なんて大げさな使命感のようなことは、僕は考えてないのだけれど、まずは自分のことをしっかりしなければという思いが強いのだ。

そんな考えだからお前はと言われるかもしれないけれど

ナチス政権下におけるマルチン・ニーメラー牧師の言葉をご存知だろうか。ネット上でも広くコピペされているので知っている人は少なくないかもしれない。その言葉についてははてなキーワードで詳しいのだけれど、いつの時代にもその体制側の行き過ぎに警鐘を鳴らすこと、そこまで行かなくとも危機感を持つことは必要であると思う。ただそのやり方を一つ間違ってしまうと、人々はそれに「胡散臭さ」を感じてしまうと僕は他人事ながら心配する。マルチン・ニーメラー牧師のことばが後世に語り継がれるほどの影響力を持つにいたった経緯にはまず、「黙々と自分のなすべきことに励んできた」という裏打ちがあったからに違いないからだ。

じっさいのところ小市民の僕が恐れるのは

そんなことを言いながら、一番僕が政治や社会のことについて語りたがらない理由には「無闇な争いを自ら招くようなことはしたくない」ということがある。つまり炎上キライということに他ならない。政治・社会のことに限らず、ネット上には色々と炎上の火種が転がっている。そういう火種とは関わらずにすごして生きたいという小市民的な考えが、表題の理由としてある。いくら自分が「間違ったことは言っていない」と信じようが、一度目を付けられてURLが晒され人がなだれ込めば、それは完膚なきまでに否定され、blogの運営主たる僕は涙目になりきっとblogを閉じてしまうだろう。それがわかっているから僕は政治や社会情勢のことについては積極的には語らない。

じゃあここで何を書くの?

技術を習得することがblogをはじめた大きな理由の一つであるので、「これは便利だ」という技術やWebサイトを紹介することは続けていきたい。記録を残したら後に続く人にとって便利だなと思う技術の導入記録も。趣味(ゲームやスポーツ観戦、漫画など)に関するエントリーも需要があるか甚だ疑問なのですが続けたい。それから勿論2つ前のエントリーで宣言したような、「母親でも理解でき、加えて楽しめるエントリー」を書くことも忘れずに。

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